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【信长yin望】(卷二武士魔霸主の天下布种)第十二章:忍诀腹上死 (第11/11页)
信长的小姓。为信长 建立了「飨谈」的雏形。 ●胜子:下忍·甲贺五十三家岩室氏·くノ一。最初以岩室夫人的侍女进入 织田家,后来成为织田信行的侍女,引起信行的若众津々木蔵人与佐久间七郎左 卫门信辰之间的争斗,而使佐久间一族投向织田信长,顺利平定信行的叛乱;之 后又成为斋藤龙兴的侍女,在竹中半兵卫夺取稻叶山城时候被识破,随着龙兴向 着鹈饲山城逃走,身负重伤为大须贺康高所救,因此放弃忍者身份嫁给了德川家 臣大须贺康高。最后在德川与织田同盟时候被佐久间信辰认出,信辰通过哥哥佐 久间信盛向织田信长请求,为了同盟,德川家康命令胜子返回织田家。介于旧情 人佐久间信辰和丈夫大须贺康高之间,为难的胜子以自刃结束了自己的生命,其 忠义使得家康也为之落泪。 真田増誉:织田信行の宠臣である津田八弥と婚约していたが、 佐久间七郎左卫门なるものが津田を暗杀して斎藤道三のもとにはしると、复讐 をこころざし、名をいつわって、道三の孙ともいう斎藤龙兴の夫人の侍女とな って、その机をうかがった、たまたま城中で骑射がもよおされたとき、射士の なかに七郎左卫门がいることを知り、匕首をふるって、これを刺し杀した、城 中に禁锢されたが、龙兴の夫人にすくわれて城中をのがれ、縁によって徳川家 康の臣である大须贺康高のもとに投じた、家康はこれを闻いて胜子を城中に置 いた、七郎左卫门の兄である盛政が织田信长に恳愿して胜子を得ようとしたが、 家康はがえじることなく、信长と家康とのあいだに隙が生じようとしたのを うれえて胜子は自刃した、家康は、その义烈を赏してあつくほうむった。 ●织田勘十郎信行:信秀三子,母亲土田御前。尾张末森城主,与信长争夺 家督之位,最后失败,第二次反叛前被信长暗杀。 ●织田彦五郎信友:信秀的同族。尾张守护,织田信秀原来的主家,但是信 秀长期与其抗争。最后因为动手消灭了名义上的守护斯波家,给了信长大义的名 分,被消灭。 ●织田又三郎长益:信秀的第十一子,母亲岩室夫人。号「有乐斋如庵」, 后世称为「有乐」、「有乐斋」。在本能寺之变时候劝信忠自尽而自己逃脱。日 后成为野村藩三万石大名。 ●织田又十郎长利:信秀的第十二子,母亲岩室夫人。本能寺之变时与信忠 一起战死。 ●平手长门守政秀:尾张国织田家家臣。织田信长的老师。后为劝谏信长的 奇特行为而自杀尸谏。 ●柴田权六胜家:织田家谱代重臣、家老。在织田信秀死后,曾一度拥立织 田信行叛乱,兵败后因作战勇猛而被饶恕。此后在信长麾下屡立战功,成为家臣 团的领袖。浅井家灭亡后,他得娶信长之妹市姬,并被任命为北陆探题,主导对 越前本愿寺和上杉家的侵攻,居城在北之庄城。本能寺之变后与羽柴秀吉对立, 贱岳之战战败后,退回居城,点燃储存在天守阁的炸药自杀。因进攻勇猛而被称 为「进攻柴田」。 ●林佐渡守通胜:又称新五郎、秀贞。任信长元服后的首席辅佐家老。但对 年幼信长种种奇行感到头痛,信秀死后,另拥立信长弟弟信行。信行反叛失败后 与胜家向信长认错而再次以宿老家臣身份复职。但后来被织田信长以过去拥立信 行,企图谋反罪名将他流放。 —∞—∞—∞—∞—∞—∞—∞—∞—∞—∞—
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